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Queenをキチンと聴きたい人のためのアルバム解説<その4>

A Night at the Opera


このアルバムのポイント
 もはや好きすぎて、何が聴きどころかを説明することすら不可能に思える最高傑作。「オペラ座を褒めすぎだろ?お前ニワカじゃないの?」という意見が出ても構わない。このアルバムがあるかないかで、クイーンというバンドの後の評価は全然違うものになっていただろうと思える名盤中の名盤。
ただ改めて「何がそんなにスゴかったんだろう?」と自問するときに、言葉に出来る回答があるとすれば「全てがスゴイ。全曲、全アレンジ、全フレーズがスゴイ」という何の説明にもなってない回答しか思い浮かばないです(スイマセン)。もはやアルバム全体を聴きすぎて、全ての音が身体の隅々まで染み込んでしまっているので、よくある「無人島にレコードを1枚持って行くなら何にする?」という問いには「このアルバムのジャケットさえあれば、中身のレコードが無くても電気がなくてもオレは大丈夫だぜ」と男らしく答えられるほどに、聴きこんでます。
そういう意味では、非常にアルバム評が書きにくい、何をどう書いても自分の中で「ちょっと違うな」という感じが残ってしまう取り扱いがやりにくいアルバムです。音楽の前に言葉は無力だよなあ、という逃げ腰状態ではありますが、まあ少しずつ語ってみます。


A Night at the Opera
フレディが描いたことで有名なアルバムジャケット。なんだろう、見るたびに「バンド活動に憧れる中学生みたいな人だったんだな」と思います。いや駄目だと言ってるわけじゃないんですけどね。これはこれでステキです。


1 "Death on Two Legs (Dedicated to....)"


まるでショパンを思わせる華麗なピアノの後に、ブライアンの地をエグるような低音のリフ、そして曲がインテンポになり半音進行の印象的なリフを奏で始めたところで、中近東のようなメロディックなギターが重なってくる。この絶妙なイントロの後で始まった歌の内容は....。
(そういえば、ジャズツアーの来日時、ミュージックライフ誌のインタビューで、「ショパンのような」というインタビュアーの発言に、フレディはインタビュアーの質問をさえぎって、ご機嫌に「そうさ、ショパンさ」と発言してますね)

いやはや、母国語が英語圏で無かったことをこれほどありがたく思うことは無いですね。「人に食い付く蛭(ヒル)のようにオレの金を横取りする糞野郎」的な罵詈雑言が、これでもかと歌われていきます。
フレディは後のインタビューでも、「強い悪意に満ちた曲であり、この曲については何も語りたくない」旨の発言をしています。
そもそも、アルバム制作時に、初めてこの曲をメンバーにお披露目した時は、他のメンバーはあくまでのその場のジョークとして、歌詞は後に書き換えられると思っていたようです(逆に、この歌詞で録音をするとフレディが宣言したときのメンバーの驚きは想像に難くないでしょう)。

最初期のマネージャー、ノーマン・シェフィールドを守銭奴と歌ったこの曲は、アルバム発表前のプレスリリースの場でも大きな話題となり(そりゃあそうだ。当の本人のシェフィールドがその場にいるのですから)、その結果、一旦は契約解消の方向で進んでいた所属事務所の移籍話に名誉毀損という形で「待った」が掛かる騒動にもなりました。まあ予想された騒動ではありましたが、それでもこの歌詞で出すと決めたフレディの強い怒りが、ファンにはやや分かりにくいのも事実だと思います。

さて、曲調についていくつか書いておきます。
まずイントロの半音進行はフレディが考えたものです。これはブライアン・メイの教則ビデオの中でブライアン本人が語っています。
https://www.youtube.com/watch?v=wkhmDEKeaBU?start=1032
(17分以降が「オペラ座の夜」の奏法解説)

またライブアルバム「Live Killers」の中で、ブライアンはイントロの「ズン、ズーン」という低いリフをアーミングのダウンで出しているのが聴き取れますが、アルバム発売時にはあそこまで音を落として正確に音が戻る(ピッチが狂わない)アーミングシステムは、まだ開発されていなかったので(アルバム発売は79年、アーミングシステムで有名なフロイドローズが一般的になるのは82年以降)、その後も「Live Killers」を聴き直すたびに、本当にあのブライアンのお手製ギター(レッドスペシャル)でここまで正確なピッチでアーミング出来るのだろうか?と疑問が残り続けました(正確なアームダウンという点では、"Let Me Entertain You"の転調後の2番のリフ部もスゴい演奏です)。
結局、この疑問は、2015年に翻訳本も出版されたレッドスペシャルの解析書「レッド・スペシャル・メカニズム クイーンと世界をロックさせた手作りギターの物語」を読むことで、一応の決着が付きました。かなりのアームダウンが可能でピッチはほとんど狂わない強力なアーミングシステム(サドル部はローラで摩擦を軽減。ナット部も0フレットのため、こちらも摩擦が少ない)のようです。高価格な書籍ですが未読の方は是非読みましょう。目からウロコが落ちまくります)


いけませんね、話が逸れ過ぎ。
この曲が捧げられたノーマン・シェフィールドは亡くなる前年の2013年に、"Death on two legs"にあやかって"Life on two legs"というシャレの効いたタイトルの自叙伝を出しています。イギリス人らしい、気の利いたタイトルですね。
上記のシェフィールドの自伝を読むと、彼の側にも言い分はあるわけで、ファーストアルバムの制作がスタジオの空き時間を掻き集めただけのように言われているが、実際にはスタジオでの作業には常に専属のエンジニア(ロイ・トーマス・ベイカー)を付けていたし、バンドのメンバーには新しい楽器も買い与えていたし、金は結構掛かっていたんだぜ、ということのようです。
そうそうシェフィールドは、あれもこれも買ってくれと言うフレディとロジャーは気に入らなかったようで、逆に自作のギター(レッドスペシャル)があるから新しいギターは要らないと断ったブライアンのことは大変気に入っていたようです(笑)。まあやっぱり金には細かい人だったイメージが残りますね。

話しついでに、2014年のノーマン・シェフィールドの死の一報を受け、ブライアン・メイは自身のBlogで、「ご存知のように、彼と我々の間には隔たりがあった。ただ全ては過去のこと。彼の家族に哀悼の意を」という一文を寄せています(2014年6月20日のBlog)。

http://www.brianmay.com/brian/brianssb/brianssbjul14a.html#07


2 "Lazing on a Sunday Afternoon"


軽めのフレディ作品。意外にもアルバム発売後のツアーではライブで演奏されていましたね。ライブテイクは、オフィシャルでは聴けないですが、YouTubeで探るといくつか確認出来ます。
あまりにも有名な話ながら、フレディの歌声を一旦、スタジオにあったバケツの中で再生し、その音をマイクで録音したのがボーカルパートですね。SE的な効果ではありますが、最初から最後までメインボーカルをそうした(お手製の)加工音声で通しているところが面白い。

後半の最後で豪勢なコーラス、そしてアウトロ部分でブライアンの華麗なギター・オーケストレーションが聴けますが、このアルバムでは多重コーラスや多重ギターが、要所要所でコンパクトに上手く使われていますね。セカンドやサードアルバムでは、一度コーラス隊が出てくると、そこから後ろは、出ずっぱりで歌いっぱなしな使い方が多かったですが、このアルバムでは必要と思われる場所だけで最小限に、適材適所的に使っていることに気付かされます。
これもサードアルバムの成功がもたらした、精神的な余裕がそうさせているのでしょう。見事だなと思います。


3 "I'm in Love with My Car"


ロジャーのボーカル曲としてはこれが代表曲ですね。ロジャーのハスキーな声にゆったり目の3拍子の曲(本人は8分の6拍子と言ってますね)。各小節の合間に入るドラムのいわゆるオカズが、曲が進むにつれ熱を帯び、グルーヴ感を高めてくれるライブでの定番曲でもあります。
最初にロジャーがギターを弾きながらデモ演奏を歌ってみせたところ、歌詞があまりにバカバカしくて、その中身の無さからか、ブライアンに「(この歌詞は)冗談だよね?」と言われたというのが、今では笑い話になっています。まあ確かに「オレの車は良い車」みたいな曲を真顔で聴かされたブライアンたちも気の毒だとは思いますが。

ライブではハッキリと聞き取れるフレディのピアノのリフと合いの手のようなコーラス、ブライアンの駆け上がるギターフレーズ、どちらもアドリブのような自由度の高い演奏で、さりげないそれぞれのフレーズに各人の演奏能力の高さを感じずにはいられません。


4 "You're My Best Friend"


ここに来て、4人目のメロディメイカーの才能が大きく花を咲かせます。
前曲のエンジンをふかしたようなフェイドアウトするSE音の後で、あの心地よいフェンダーローズのイントロが始まると、実に見事な曲順だなと思います。
この曲以降、ジョン・ディーコンが素晴らしい曲を要所要所で発表するようになります。個人的にはこの名曲と「世界に捧ぐ」アルバム収録の"Spread your wings"は、素晴らしい才能だと思います(世間的には、"地獄へ道づれ"と"I want to break free"の2曲がジョンの作品として有名ですが、個人的にはこっちの2曲の方が名曲だと思います)。

ジョンの演奏によるフェンダー・ローズのエレピに、フレディのたっぷりと余裕を効かせたボーカル、ブライアンのややブラス寄りの音色を使った見事なギターソロと、ジョンの多重録音によるメロディの合間を埋めるような素早いベースのフレーズ、それら全てが絡みあい、極上のポップソングを彩ります。
いつ聴いても素晴らしい。そしてイギリスよりもアメリカで受けたという話(シングル盤はU.Kでは無冠ながら、U.S.Aでのみプラチナを獲得している)が、妙に説得力を持って思い出されます。このアルバムからの第2弾シングル。


5 "'39"


オペラ座アルバムにブライアン・メイは4曲の作品を提供しています。その1曲目がここで登場します。オペラ座の夜・30周年記念の映像作品(アルバム解説)の中で、ブライアンはこの作品を宇宙旅行を歌った作品だと語っています。
ある種の「ウラシマ効果」でしょうか?。船で宇宙を旅し、その数年後に懐かしい惑星に戻った時には既に時間がその惑星では数百年も流れていた、そんなイメージを歌った作品のようにも解釈できます。
ロジャー・テイラーのハイトーンボイスが印象的な中間部の間奏は、そんな宇宙旅行の様子を表現してみせたのでしょう。
後に発売されたライブアルバム「Live Killers」での演奏が非常に印象的で(スタジオ版よりもこのライブテイクの方が良い出来だと個人的には思います)、12弦アコースティックギターを抱えた時に、この曲のイントロを弾く人は多いのではないでしょうか。

12弦ギターといえば、意外に知られていない話ですが、ブライアン・メイの12弦ギターは標準的な12弦ギターの弦の張り方と異なります。従来12弦ギターは、通常の6弦ギターのそれぞれ上側(垂直方向の上側)に1オクターブ高い音を出す複弦を張ります(※ただし1~2弦は音が高くなりすぎるため、複弦は元の弦と同じ音の弦を張ります)。
しかしブライアン・メイの12弦ギターは、従来の弦の下側(垂直方向の下側)に1オクターブ高い音の複弦を張るのです。何故そうした張り方をするのか詳しくは知りませんが、60年代に(ビートルズジョージ・ハリスンの影響で)エレクトリックギターの12弦ギターとして非常に人気があったリッケンバッカーで、そうした張り方をしていた人がいた記憶があるので、その辺りに影響を受けたのかもしれません。
後期のライブで定番曲となった「Love Of My Life」も同じ12弦ギターで演奏されていますが、要所要所で1オクターブ高い音が微妙なタイミングで聴こえるのは、きっとこの弦の張り方が影響しているのだろうと思います。
一見、カントリーソング風の曲調ながら、中間部での意外な転調の後、豪快な切り返しで元のキーに戻る辺り。ブライアンの並々ならぬ創作意欲が感じられる作品だと思います。


6 "Sweet Lady"


アルバム中、2曲目のブライアン作品。
オペラ座アルバムを俯瞰的に眺めた時にまず気付かされるのは、フレディ・マーキュリーの作品がどれも強烈に趣味的な作品だということです。「Death on Two Legs」、「Lazing On A Sunday Afternoon」、「Seaside Randezvous」、そして究極の趣味的な作品「Bohemian Rhapsody」。どうだろうか?上記の楽曲たちが名盤として語り継がれる他のアーティストのロックアルバムに収録される可能性なんて果たしてあるだろうか?
(このアルバムのフレディ作品で、唯一汎用性を持つ作品は「Love Of My Life」だけだろう)
これはサード・アルバム「Sheer Heart Attack」の成功で、「自分のやっていることは間違いない」「己のやりたいことを徹底的に突き詰めることでも正しく評価されている」と、自信を深めた結果の産物だろう。これ以降の作品では、もう少し一般向けの、ロック・フォーマットを頭の片隅に置いたフレディ作の楽曲群がしばらく続くことを考えれば、このアルバムで自分の趣味を完全に出し尽くしたというフレディの姿勢はある意味、見事なほどだと思う。(なお、少し話を進めるなら、この次にフレディが趣味性を全力で出そうとしたのは、悪評高き「Hot Space」アルバム。その話はまたどこかの機会に)


話を「Sweet Lady」に戻そう。上述の天才フレディの徹頭徹尾「我が道を行く」路線を考えれば、どうしてもブライアン作品の影が薄くなってしまうのはやむを得ないことだろう。しかもそれに追い打ちをかけるように、ロジャーが「I'm In Love with my car」、ジョンが「You're my best friend」という平均点を遥かに上回る名曲をそれぞれ用意してきただけに更に分が悪くなっていくし....。

言ってみればこの「Sweet Lady」という曲は、ギターのリフを中心に作られたであろう小品で、3拍子という発想はとても面白いのにどうにも3拍子には聴こえないという(3拍子に聴こえない理由は、各小節の音が食い気味に前ツッコミで全て繋がっていて、4小節で一つのリフに聴こえるため)、ある意味、アイデア一発の曲に聴こえてしまう不幸な曲だということだろう。
Aメロ・Bメロともに、ロジャーのドラムが「ドカドカ」と一本調子に聴こえてしまうアレンジで、かろうじてサビで倍速にテンポアップしてドライブ感を高めていることで、駄曲の評価をまぬがれているように思えるこの曲。
しかしながら、1976年9月に行われた伝説のフリーコンサート、ハイド・パークライブで、この曲が演奏された時のアウトロのブライアンのギターソロは個人的には鬼気迫るものがあると思います。オフィシャルでいつかは正式に出して欲しいライブ演奏の一つですね。「Sweet Lady?そんな曲あったっけ?」という人は、一度ハイド・パークの演奏動画をYouTube辺りで探してみて下さい。確実にこの曲の評価は変わると思います。
(話ついでに。「Sweet Lady」はハイド・パークでは何と3曲目の演奏。オープニングからたった3曲目でこのテンションの高さ。ブライアン・メイという人は、やはり恐ろしいギタリストだなあと改めて思いました)


7 "Seaside Rendezvous"


先に「Sweet Lady」の項で書いたように、オペラ座アルバムのフレディ作品はどれも(「Love Of My Life」を除き)、リスナーのことはお構いなしの趣味全開の作品たちです。そしてその筆頭株はこの曲でしょう。

ブライアンの奏でるオーケストレイション的なギターも随所で聴こえますが、あくまでもメインはフレディの歌声とそれを補完するコーラスワーク。有名な話ですが、間奏の木管寄りのボイスはフレディ、金管寄りのボイスはロジャーです。
自身の頭の中で鳴り響く世界観をここまで具現化出来るフレディの高い音楽面の能力と、そして彼の強いこだわりと執念(これはやはり「執念」と呼ぶしかないでしょう)。この曲を聴くたびに僕がいつも感じるのは、天才の頭の中ではこれだけの音が鳴り響いているのか、という驚きです。
この曲を、というかオペラ座アルバムを楽しむためのお手軽な方法は、「出来るだけ静かな環境でヘッドフォンを使って」アルバムを聴くことです。
主旋律にあたるリードを歌うフレディは、実際にはワンテイクではなく、細かく何回かに分けてリード部の歌唱を録音しています。つまりAメロの最後の音とBメロの最初の音を重ねたり、中央で歌われていた声が「スーッ」と踊りながら退場するかのように右チャンネルの方に流されながら、次のフレーズがゆっくりとフェイドインで姿を見せたり....。まさに優雅の一言です。

名曲目白押しのオペラ座アルバムの中では、この曲を「佳曲」扱いにして、高く評価をしない人もおられるかもしれないけれど、個人的には(本当に個人的には)この曲がベストテイク。いつ聴いてもフレディの「趣味性」「執念」「優雅さ」を一発で感じさせてくれます。
アナログ時代は、A面はここまで。


8 "The Prophet's Song"


ブライアンが見たある日の夢にヒントを得て作られた曲。なお既にセカンド・アルバム"Queen II"の時期に最初期のバージョンは作られていたそうです。
オペラ座アルバム発売前後のライブから積極的に演奏されていて、その後も長期間ライブのレパートリーとされていたが(1978年11月からのアメリカツアーで外されるまでライブの定番レパートリーだった)、ライブアルバムの名盤「Live Killers」に収録されず(1979年01月~03月のツアー音源)、また最近出た「A Night at the Odeon Hammersmith 1975」のライブでも何故かそもそも演奏されていなかったために、ライブ演奏がオフィシャルで発表されず、異様に評価が低くなってしまった曲。

話は逸れるけれど、「A Night at the Odeon Hammersmith 1975」は同年12月24日のライブ演奏を完全収録したもの。しかしながら同年11月14日から始まったオペラ座ツアーでは、アルバムからの曲が3曲(「Sweet Lady」、「The Prophet's Song」、「Bohemina Rhapsody」)演奏されているにもかかわらず、なぜかこのOdeon公演では、そのツアーとは全く異なるセットリストで演奏がされていて、オペラ座アルバムからは「Bohemina Rhapsody」1曲しか演奏されないという不可思議なことになっています。ライブ・アルバムのタイトルに「A Night at the ~」と付いていますが、全くオペラ座の香りがしないのでこれは要注意物件。


話が逸れたついでに、オペラ座の夜に収録された曲のライブでの初演奏の時期を以下に書いておきます。
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1975/11~
「Sweet Lady」、「The Prophet's Song」、「Bohemina Rhapsody」
1976/01~
「Lazing on a Sunday Afternoon」
1976/03~
「Death on two Legs(※The Prophet's Songの一部として)」
1976/09~
「You're my Best Friend」、「39」
1977/05~
「Death on two Legs」(独立した1曲として)
1977/11~
「I'm in love with my car」、「Love Of My Life」
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結局、オペラ座アルバムからライブで演奏されなかったのは、「Seaside Randezvous」と「Good Company」の2曲。後者はギターオーケストレーションの再現に無理があるので分かるけれど、前者はメドレーの1曲としてなら出来そうなのに、ちょっと意外ですね。


話を戻しましょう。日本語のタイトルは「預言者の歌」。世界が滅びようとする時に残された人々たちは手を取り合って一つの道を行くべきだろう、という趣旨の歌のように思えます。
個人的にはクイーンの楽曲のほとんどの歌詞が、初期のアルバム収録のおとぎ話のようなストーリーのものを除いて、「特に言いたいことがあるわけではない」というレベルのナンセンスソングが多いと思います(その筆頭株はおなじみの「Bicycle Race」)。
それでもまだこの頃は、この曲のような世紀末を意識した黙示録的な曲を作っているという点は要注意点でしょう(まあ、でも次回作でブライアンも「お前の母ちゃんを縛り上げろ」と言い出すわけですが...)。

ギターの6弦を1音下げた、いわゆるドロップDチューニングで演奏されるこの曲。最初に述べたようにかなり長期間、「News of the World(世界に捧ぐ)」アルバムが発表される頃までレパートリーとしてライブで演奏されています。オフィシャルのライブ音源が無いため、信憑性は不明ですが、ライブ演奏時のインプロ部(即興演奏部)での発想が後に「Get down Make Love」に繋がったという一説も目にしたことがあります。
スタジオ版での中間部のフレディによるエコーマシンを使った一人独唱は実際のスタジオでも一発録りだったと言われてますが、オペラ座アルバムでは執拗なほどにコーラスを重ね、「Seaside Randezvous」ではメインボーカルのリード部ですら何度かに分けて歌声を録音していたフレディが、ここではあえて一発録りでこの部分に挑んだという点は注目に値するでしょう。
オフィシャルからのライブ音源が無いために、今少し評価が低い曲だと思います。
いつの日にかライブバージョンが世に出て、その評価が一変する曲があるとするなら、この曲がまさにそのうちの1曲でしょう。


9 "Love of My Life"


至高の名曲。「愛する人への想いを、ただただ美しいメロディにのせて歌った名曲」と書くのは実に陳腐な表現だと思うけれど、この曲を表わすのにそれ以外にどんな言葉があるだろうか?
セカンドアルバムの「Nevermore」、サードアルバムの「Lily of the Valley」と続く、フレディ作のラブバラードの完成形がこの曲だろう。
ライブ・アルバム「Live Killers」を初めて手にした時に、この曲を演奏曲目の中に見つけて「一体どうやって演奏するのだろう?」と期待に胸が膨らんだあの日。そして意外にもアコースティックギター一本をバックに観客の大合唱を交えながら切々と歌うフレディの歌声。展開部の最後、ハイトーンで歌い上げるべき「I Still Love You」の箇所を、サラリとした囁くようなフレーズで紡ぐアドリブの妙技。「フレディはライブのパフォーマーとしても天才だったのか」と胸を打たれた瞬間でした。

いくつものスタジオを使い分け、納得のいくまで歌声を重ねて完成させたオペラ座アルバムの中にあって、この曲では意外にもコーラスが少ないのは、フレディが自分の歌声に絶大なる自信を持っていたからでしょう。これはサード・アルバム「In the Lap of the Gods」の歌唱にも通じるものがありますね。
スタジオ版のレコーディングで最も苦労したのは実はブライアン・メイで、イントロ部とエンディングを華麗に飾るハープにかなり苦労させられたようです。ブライアンが苦しんだのはハープの「演奏」自体ではなく「チューニング」の方です。「演奏している時間よりもチューニングしている時間の方がずっと長かった」と彼は後のインタビューで語っています。やっとチューニングが出来たと思ったら、誰かがスタジオのドアを開けただけで(スタジオの気圧が変わったために)またチューニングをイチからやり直したとか。

それにしてもなんと美しいフレディのピアノ。
この時期はずっとフレディのピアノ演奏に対しては「華麗に美しいメロディを流暢に奏でている」とばかり考えていたけれど、「ドライブ感満点のピアノも軽々と弾いてみせてくれる」彼の見事な演奏技量を、我々は「Don't Stop Me Now」という名曲で知らされることになる(これはオペラ座アルバムからわずか3年後の話)。


10 "Good Company"


客観的に考えてみれば、"Love Of My Life"、"Bohemian Rhapsody"という希代の名曲2曲に挟まれた、なんとも居心地の悪い場所にいるのですが、その割にはあまり違和感がないというか、実にさりげない佇まいでしっくりなじんでいますね。
ブライアン・メイの渾身の、そのくせ曲調はとてものどかな1曲です。
子供の頃にこの曲を聴かされて、「これ全部ギターで音を出しているんだぜ」と教えられた人はみんな「ギターとは魔法のような楽器なんだな」と思わされたことでしょう。そしてその後、音楽的にあれこれを知るようになると、決して普通にギターを弾いているだけで、あれらの全ての音色を使い分けられるようにはなれないという(考えてみれば)当たり前の事実に驚かさるのです。
その後は、「ブライアンのギターは手作りらしいから、それであんな音が出るのでは?」と誰しもが一度は考え、「あのギター(レッドスペシャル)が特別だから」説に傾倒するのですが、これまた実際にはそんなことはありません。
あくまでもギターが出すことの出来る音色の研究に真剣に取り組んだブライアン・メイだからこそ、あの全ての音が出せたのです。ブライアンはギタリストとして高く評価されていますが、彼の何がすごいのかが、意外にも語られることは少ないようです。その凄さを改めて痛感するのに最適な曲がこの曲でしょう。安易に聴き流している場合ではないのです。

そうは言っても(別項でも書きましたが曲の再現が困難だからでしょう)、実際のライブで演奏されることがなかった曲であるため、「オペラ座の夜」アルバムの中で1、2を争うほど影の薄い曲でもあります。曲中の各場面ごと、各パートごとを拡大して咀嚼すると、これほど時間の掛かった曲もないことに気づくのですが、あまりの曲の心地よさの前には、そうした研究心もウヤムヤになってしまうのも仕方ないのかもしれません。
録音中のエピソードとして、この曲に掛かりきりのブライアンに対して、一日の終りにスタジオに立ち寄ったロジャーは、「どう進んでる?何?これだけ?全然進んでないじゃん」と結構ひどいことを平気で言っていて、ブライアンはひどく傷ついたと後のインタビューで語っています。


日本ではキンクスThe Kinks)を聴く人が少ないせいでしょうか、国内のレビューではあまり目にしませんが、この曲の海外でのレビューを見ると、キンクスの一連のボードビリアン的な作品から影響を受けているとの評をチラホラと見かけます。
またこの曲以降、ブライアンの人生観のようなものが彼の作品に伺われて、それはいずれも自身が歌う楽曲たち"Long Away"、"Sleeping On The Sidewalk"、"Leaving Home Ain't Easy"へと繋がっているようにも思えます。つまり名声を得てスポットライトを浴びる代わりに失ったものがあるのではないか?という彼なりのわだかまりのようなものと言えばいいでしょうか。
ブライアンがこのジャズオーケストラ風のアレンジを考える時に参考にしたのは、"The Temperance Seven"という英国のジャズバンドの演奏だそうです。


11 "Bohemian Rhapsody"


プロデューサー、ロイ・トーマス・ベイカーの話として、オペラ部分はフレディのアイデアが録音中もどんどん膨れ上がって、あれもこれも追加で詰め込んでいくうちに最終のリリースした長さになったと言っています。しかしブライアン・メイの話はそれとは異なり、全ては最初からフレディの頭の中に完成形があった。彼には最初からどういう形にするかが見えていたと後のインタビューで話しています。
それぞれの意見の相違点はあるとしても、確かなことはこの曲の全てはフレディ主導でレコーディングが進められていったということです。


さて実際のライブでのこの曲の演奏ですが、説明を簡易にするために曲を5つのパートに分けましょう。
(a)ボーカルのマルチ編集による部分(Is this the real life? の部分)。
(b)おなじみのピアノのイントロから始まるいわゆるバラードセクション。
(c)オペラセクション。
(d)ギターの激しいリフで始まるハードロックセクション。
(e)スローダウンし曲のエンドまで演奏されるリプライズセクション。

当初のオペラ座の夜ツアー(75年11月~)では、まずスタジオ盤の"Ogre Battle"で使われたSE音の落雷音と(c)のオペラ部分を編集したテープをコンサートの始めに流し、それに続けて(d)のハードロックセクションを演奏することでコンサートをスタート、さらにメドレーで別の曲("Ogre Battle")の演奏をしていました。コンサートではその後、何曲かを演奏した後、(b)のバラード部分より演奏を開始、メドレーで"Killer Queen"、"The March Of The Black Queen"と続けた後、(e)のリプライズ部分に強引に繋げて曲を終了という演奏がされていました。
76年3月からの日本公演の海賊盤などでもこの流れは聴くことが出来ます。


1977年の初め。次のツアー用のリハーサルの中でバンドは、"Bohemian Rhapsody"のフルバージョンを実際にライブで演奏することを試みますが、やはりオペラセクションの部分で演奏に無理があるという結論に達し、最終的に(b)のバラードセクション~(c)のオペラ部分はテープ再生と照明による視覚効果(メンバーは一度ステージ裏に)~(d)のハードロックセクション~(e)のリプライズセクションにて演奏終了という形に落ち着きます。これはライブ・アルバム"Live Killers"でも聴けるおなじみの構成ですね。結局86年の最後のツアーまでこの形での演奏が定着します。
なお、(a)の多重コーラスの部分がライブで演奏されることは一度もありませんでした。


12 "God Save the Queen"


1974年の"Queen II"ツアーの中で、ブライアンは観客がショーの開始前に国家を斉唱する歌声を聞き、「これをインストバージョンにして、ショーで流すことは出来ないだろうか」と考え始める。
さっそく1974年10月26日にトライデントスタジオに入ると、簡単なピアノのガイド演奏を録音し、そこに音を重ねる形で録音を進めた。結局この演奏は1974年10月のショーから最後のツアーまで使われ続けた。


関連動画



Queen- '39 (Live at Earls Court 1977)



Queen - Love of my life (Live at the Bowl )



18. The Prophet's Song (Queen In Earls Court: 6/6/1977) [Filmed Concert]



Making Of The Prophets Song



God Save The Queen (A Night At The Opera 30th Anniversary) - Brian May Interview
この曲だけマルチトラックが16チャンネルですね。その理由はこの曲だけ録音時期が異なるためです。



Queen - God Save The Queen